映画「ちいかわ」についての感想(ネタばれがあります)

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めっちゃ今更?な感想です。
見てから1ヶ月ほど経っているので思い出せていない部分がある可能性がある。という前提で。

【役割分担】

基本的な普段の「ちいかわ」と同じ役割分担なのが良かった。

言葉は話さないが、危機管理能力が異様に高く、かつ世界を俯瞰してすらいそうなちいかわ
全ての語りは彼によるといわれるほど状況を言葉にするが、人や状態の裏は読まないハチワレ
チートのうさぎ(まじでサイコー)

こいつらが映画を非常に上手く動かしていた。怪しいビラを見て最初に危機感を覚えるちいかわ。ヒトハフタバの秘密(永遠の命を得ていること)を見てしまうちいかわ。人魚の鱗を拾ってしまうちいかわ。ラストの、見送りのキャンプファイヤーで、ヒトハ・フタバのところに来て見つめ合うが、聞きたいことを飲み込むちいかわ。ほっとするヒトハフタバ。

そこにやってくるハチワレが何も考えてないのもいい。人の裏は見ないようにできている。

うさぎはビラを最初に拾う人物だが、怪しいとか怪しくないとかは考えず、自らの力で切り開けてしまうのがすごい。

ラッコ先生は強すぎるが故に昆布に縛られてた。ただ甘いものを食べに来たようだ。

くりまんじゅうとシーサーがむしろなぜあの島に行ったか、最後まで分からなかった。戦闘にも参加していなかったのでは。

そしてモモンガと古本屋。

モモンガは早く中身を取り戻せと常に思っている私だが、ラストの船上シーンで「牢獄は嫌だ。まだまだ『この体で』やりたいことがあるからな。」と独り言を呟いたのはゾッとした。

そして古本屋の善なる心(ある意味普段はシーサーのひたむきさと通じるものだ)で何とかなるものではないのだろうな、という絶望を覚えた。

よく考えてみれば、モモンガが現モモンガの中身になってから、何か「ちいかわ族的に」馴染んだことが何もないからだ。

【音楽】

基本的なテーマ

「島民の歌」(歓迎パーティやセイレーンやいろんなところで流れる)の歌詞が

たこ焼き
すき焼き
ケバブに
照り照りソースの焼きそば

で
縦読みすると「タスケテ」になる。

島民がこの曲を仕込むのはわかるが、セイレーンも人魚も歌うという所に一段深いものを感じた。
セイレーンも人魚も悲しみや人をさらう虚しさから救って欲しかったのかもしれない。

また、人魚たちの合唱(多分マイナーコードのコーラスをつけている)が1人足りないのがわかるように流れているのは良かった。

「今日の日はさようなら」

ハチワレがちいかわに歌っている時は無邪気な「いつまでも友達でいようね」という意味でしかないのに、ヒトハとフタバシーンになると

「いつまでも友達でいる」呪いのようになる。

同じ秘密を共有している以上、運命共同体になるしかない怖さをあの優しい曲で示す恐ろしさがある。

【ストーリー】

ちいかわの世界で言う、「あのこ」や「でかつよ」のようなキメラであり討伐対象である存在は、ちいかわ族にとっては基本的に「理解不能」な存在である。セイレーンは神話の神が元になっている通り、島に豊穣をもたらす神であったが、神というのは人間の常識が通用しないと神話にもあるように、ちいかわの常識は通用しない。仲間が殺されたら、犯人が見つかるまで殺す。その時に殺された無辜の民(ちいかわ族)への思いやりなどはない。これはテレビアニメのでかつよ(現モモンガの中身)やあのこでもそうだ。あのこのように、かつてちいかわ族だったものでも、「あちら側」に行った瞬間に、その時の記憶や感情や常識や倫理を忘れる。

つまりセイレーンは「そういうもの」。

だから

音などで油断させて激辛カレーという物理で攻撃するのは正しい。

一方、島二郎もちいかわ族ではない。あれは鎧さんたちの言う「友好型」の一種といおうか、アニメで言うなら「オデ」の仲間といえる。彼らは話が通じるし、ちいかわ族に友好的だ。ただし、ちいかわ族からは理解されない。島二郎もセイレーンと戦うまでは、店に誰も来なかったし、誰からも話しかけられなかったと言う。

最後に島二郎は島民に受け入れられるが、それは島二郎が島を救ったからではない。自分たちと同じ「ちいかわ族」が仲良くしたからだ。
それくらい、島における「異形のもの」への排除は強かったということの証左でもあった。

私が見終わって最初に気にしたことは「島二郎の店の経営状態」だったが、少なくとも今後は潤うだろう。

ヒトハフタバ

フタバは、ヒトハがセイレーンの事故により死にそうになったため、人魚の肉を食べて不老不死になろうとした。そのために人魚を「しるこサンド」で釣って、撲殺した。音しかしなかったのに、何度も殴る音がして、確実に殺したと誰もが思う形で。

それから袋に遺体を入れて帰って煮付けにし、死んだ方に食べさせる。そいつは元気になるが、自分だけが不老不死なのは嫌だともう片方にも食べさせる。

これで不老不死ペアが出来上がった。

その後島民がセイレーンの怒りを買って何度も攫われているのに、見て見ぬふりをしたのは確かに罪深い。

【総評】

私はこの映画を「罪とは何か」というのを真正面から問う映画だと思った。

友人を救うために人魚を殺すのは罪か。

自分だけ生き残るのは嫌だと言って道連れにするのは罪か

さらにいえば、事故とは言えヒトハフタバのどっちかを殺したセイレーンは罪か

人魚を殺されたからと島民をさらって味噌漬けなどにするのは罪か。

私は、実はいちばん罪なのは、自分たちで積極的に何もせず、今までセイレーンからの恵みを享受するだけしておいて、いざなにか起きると他の場所の人に頼る島民が一番の罪人なのではないかと考える。

そもそも「他の人からはみ出さないように(ヒトハフタバが言い出せなかったのもこの風土があったからではないかと思っている)」「危機に対して受動的」というのは、非常に日本および日本の村落共同体に近い。

しかし残念ながら、日本の村落共同体にはちいかわもラッコも来ないので、自分たちの不始末は自分たちでつけろ、と思う。

ヒトハフタバは島から脱出したが、もしも永遠の命を得ていることか知られたら、石もて追われることになっていただろうと思う。

(という意味で、この映画はアジア以外の海外で果たしてウケるかは分からない。とても日本的な映画だと思う)

ということで、非常に日本的で、かつ日本的に怖い映画であった。

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